“国権剥奪に死を以て戦った義兵抗争”
小蘭芝義兵抗争は、1905年の乙巳條約(第二次日韓協約)における国権の剥奪により、京畿道水原地方で挙兵した一群の樵軍を率いるほど勢力が強かった洪一初旗下の義兵たちが日本軍の焦土化作戦に押されてやって来た忠清南道唐津で、丙午年の洪州戦闘で敗れた義兵の一部と合流し、当時の湖南地方の官穀運送船の中間停泊地であった唐津市石門面小蘭芝島に移動して後日再起を図ったが、1907年2月に日本軍の奇襲攻撃によって全滅した。
これを称えるために、1987年から追慕祭が執り行われている。